誰にも言えなかった
精神科で働いていた頃、塞ぎ込む人を見て、毎日がそんな風に過ぎていくことを自分が経験するなんて思わなかった。
19の時に知りた会った人と21歳で付き合い始め25歳で結婚した私。
トントン拍子に3人の息子に恵まれたが、仲が良さそうに見えて、レス夫婦であった。何度もその事で喧嘩もしたが、無駄を悟った。それなりに夫婦として生活は出来ていたが、義母の子供への差別と長男の将来への考え方の違いから別居するにあたり1度離婚をすることになった。とはいえ、仲が悪いことも無い。子供は自由に行き来をしていたし、困り事は相談していた。
彼はコロナの影響で職を失っていた。なかなか再就職も見つからずにいた様子だ。
今年は私の誕生日とその翌日の長男の誕生日に仕事休みを貰うことが出来たので、久しぶりに家族で食事でも…と話をした3日後のことである。
仕事で残業となり、遅れてかえって来た私に1本の電話がかかってきた。義母が連絡を取りたいと実家に電話してきたという電話だった。久しぶりに義母に電話をかけると、いつもやんやとせっかちな口調で話す義母が、疲れた口調で言った。
「あのね、○○(元旦那)がね、亡くなったんだわ」
旦那は私より7つ年上。決して高齢者でもなく世間で言えば管理職の年齢である。
にわかには理解ができず状況を聞く。話を聞きながらも血の気が引くのを感じる。8月のお盆前…まだ蒸し暑い夏の日の夕方なのに手先が凍えるような冷たさになっていった。
息子たちになんと伝えたらいいのか…頭の中は整理しきれない事実と感情でぐちゃぐちゃであった。
しかし言わねばならない。3人の息子を一部屋に集め、座らせ、今から大切な話がある、と前置きをして事実を話した。きっと今は意味も理解できていないであろう…半信半疑の顔をしながら今から帰ることを伝えた。
電話を受けた8時半。大阪を出たのは22時のことである。運転中突然の大雨に見舞われ高速を走っていたが進んでいる気が全くせず、名古屋までが異常に遠く感じた。運転中も涙が止まらない。深夜過ぎに名古屋へは到着したものの、元旦那が安置されている式場は無人で開くことは無かった。とりあえず実家へ帰り、真夜中に両親に事情を報告する。両親も驚きを隠せない様子だった。
とりあえず式場が空く時間までは休んだ方がいいと言われたが、眠れる状況になく、とにかく落ち着かないまま朝を迎えた。朝9時に式場へ到着すると、控え室に記名があった。ノックして部屋に入ると誰もおらず、1人眠る元旦那の姿があった。お参り道具が揃えてあったが、それどころではなく泣きくずれた。体は冷たく、薄っぺらい布団をめくると裸で納体袋に包まれていた。私が泣き崩れるのとほぼ同時に子供たちも声を上げて泣いている。電話で最後に「待っとるわ」と言ったことが蘇る。
特に持病もなく、健康診断の結果も痩せ型で近眼、少し白血球数が高い程度。心臓、肝臓、腎臓に悪い数値もなかった。そんな人が突然自宅で亡くなるなんて信じられるわけが無い。程なく義兄が現れたので話を聞くが、検案書にも詳細は不詳と記されている。
そこからはあっという間に通夜葬儀、そして火葬が続く。通夜は朝まで寄り添い、寝ることも食べることもなかったこと以外、ほとんど記憶には残っていない。
火葬の後、夕方に自宅へ戻る。彼の最後の場所を見たが、一緒に暮らしていた時のままほとんど何も変わらず、新婚の頃買ったベットもそのまま使っていた。警察に1度押収された財布の中に結婚指輪が残されていおり、無くさないように大切に持っていてくれた事が分かる。その指輪を再び左手の…私の薬指にはめると、結婚式の日を思い出す…。
49日まではこの指輪は仕事以外で外さないでおこうと思う。私の人生の半分以上を共にした相方との別れは私の中で大きすぎる出来事で、まだ受け入れられないことばかりである。
あの日から20日以上経過しているが、相変わらず気力も食欲もなく、眠剤を使わないと眠れない日々を過ごしている。仕事をしていても心ここに在らずの状態が続く。家族で居る時間だけが支えになっている今日この頃の自分であることを周囲の皆様へ申し訳なく思っている。
腹話術
無事に火葬も終わり
いつもあいつがいた場所には白い骨壷
そしてエサと水を供える。
仕事から戻るとつい、いつもの癖で
あいつの名前を呼び
声なき返事を待つ。
今朝、夜勤を終えて帰宅。
いつものように「ただいま、仁」
そう言うつもりだった。
ドアを開けて、ただいま……
???
ん?
カスカスカス……
声が出ない。
喉は痛くないし、深呼吸してを肺を空気で満たしても
声帯が反応しない感じである。
大声で叫ぶと、ただ噎せるだけである。
小声で低い声を出すと、ヒソヒソ話レベルの
微かに聞き取れるか?くらいの声が出た。
疲れているのか?と思い
とりあえず睡眠を取るも
3時間後に目覚めてもやはり声は出ない。
やる気のない私は特にあせることもなく
ただ、現実を受け入れた
今は声が出ないんだと……
溜まりきったメールに返信をしつつ
明日をどう乗り切るか考える。
子供にもメールで声が出ないことを伝えると
大丈夫?と次男が近づいてくる。
こいつは今風邪をひいている。
もしや、風邪菌を拾ってしまったか?!
と考えていると
やってきたのは我が家の伝説クリエイター3男。
「声が出ないん?」と聞くためあ、うなづいて答える。
「じゃあさ……」
「???」
「腹話術で話せばいいじゃん!」
……( ゚∀ ゚)ハッ!その手があったか!!
なぁんてなるわけがない。
腹話術が簡単に出来れば、いっこく堂も一般市民だ。
とはいえ、練習さえすれば少しは話せる人もいると聞く。
こやつは、もしや腹話術ができるのか?
【腹話術ってどうやるの?】とメールを送ると
それを見て
「お腹に顔と口を描いて……」と説明を始めた。
うん、それは腹話術ではなく
腹踊りだ( ̄▽ ̄;)
自宅で腹踊りする母を見たら
笑えるどころか空気が凍るだろうよ……
残念だ……
非常に残念だ……三男よ。
君の伝説がまた増えて
母の頭痛の種はすくすくと成長しているよ🐣🐥🐤🐔
永遠に共に
間もなくその姿は消えようとしている。
お別れの時が近づいてくる。
眠っている体を撫でると、感触はそのまま
でも温もりはもうない。
私が社会人になって最初に就いた職業は
セレモニー(葬祭)ディレクターである。
7年勤めていた。
世間を知らぬ小娘は、何故か男性に対抗意識が強く
バカにされることをとにかく嫌って食らいついていた。
まだ女性のディレクターはかなり少なく、
私の職場にも女性の先輩は1人しかいなかった。
そんな職場で基礎を学び、
介護施設、病院で仕事をこなしている私にとって
「死」というものは、とにかく身近であった。
その様態も悲しみもダメージも全て頭では理解できる。
しかし、慣れることは……できないものである。
昨日仕事を終えてからというもの、
私は猫の亡骸から離れることは出来ず
衝動的に襲う悲しみと涙で瞼は腫れ上がり
今の私はこの上なく不細工である。
近くに住む友人が花を持って駆けつけてくれ
一緒に泣いてくれた……。
今も胸に刺さる悲しみは心臓を抉るかのようである。
ただ、私よりきっとこの子の方が辛く悲しいだろう。
子供達はそれなりに悲しみを受け止めているのだろうか。
生活に大きな違いは見られない。
ただ、私にはみえていないだけかもしれないが……
私は、食欲もなく、ただただ寄り添い話しかける。
君の「姿」に。
時々抱きしめてはまた涙があふれる。
当たり前だと思っていた事が突然当たり前から消えて
当たり前だった時の幸せを改めて知ることを
後悔という。
私の友人はいつも言う。
「今を大切に」
友人はバルーンパフォーマーだ。
バルーン(風船)はいづれ空気が抜け、萎んで、今の形をずっと維持することは出来ない運命である。
運命に逆らうことはできない。
だから、今を大切に……
パフォーマンスのラストでそう話す言葉が
頭から離れない。
大好きだった
可愛かった
時々ドジだった
ご飯をすぐ食べこぼしてた
名前を呼べば、ニャンと鳴いて
おいで!と言えばすぐ近くにきてくれた
甘えん坊だった
外を眺めるのが好きだった
でも、外に出ることは怖かった
抱っこも嫌がらず
いつもそばにいてくれた
本当に本当に
君がいてくれて、私は幸せだった
ありがとう。
仁。
これからもそばにいてね。
朝方、ふと君が触れたような気がするのはきっと
夢じゃないと信じてる……
星になった生命
我が家の猫は昨日、病院から帰宅。
一晩三男が見届けてくれ、
家族みんなに見守られて、
本日朝7時30分に旅立ちました。
安らかな様子で痙攣も叫び声もなく静かに…
1歳と10ヶ月。
小さな生命がまた生まれ変われますように。
そして今度は長く家族と過ごせますように…
辛すぎて…言葉になりません。
星になった生命
我が家の猫は昨日、病院から帰宅。
一晩三男が見届けてくれ、
家族みんなに見守られて、
本日朝7時30分に旅立ちました。
安らかな様子で痙攣も叫び声もなく静かに…
1歳と10ヶ月。
小さな生命がまた生まれ変われますように。
そして今度は長く家族と過ごせますように…
辛すぎて…言葉になりません。
悲しみよこんにちは
サガンからタイトルをパクりました。すみません。
今日は私のことではなくうちの猫についてのお話。
私は2年前、名古屋から大阪に引っ越してきた。
その時に猫を一匹連れてきた。
まだ2歳になったばかりのやんちゃ小僧だった。
ちょうど初回の緊急事態宣言が出されており
ペットショップは閉店中。
緊急事態宣言が解除され、ショップには成長してしまった子がセールで並べられていた。
その中の1匹を我が家にお迎えした。
そして2匹の猫が我が家で生活することに。
それから1年……名古屋から連れてきた猫は猫コロナにより空へ旅立った。
まだ3歳という若さで。
その悲しみから立ち直るのに、しばらく時間を要した。
そして子猫だったペットショップの猫は成長し、健康そのものだったはずだった。
しかし昨日から見るからに元気がなく寝てばかりで
食事も取れていない。明らかにおかしい。
気になって病院に連れていき検査をしてもらった。
「白血病です。生きてるだけでも奇跡のような重度貧血があります」
いきなりハンマーで頭を殴られたような衝撃がはしった朝9時。
10月にした検査では全く正常そのものだった……
今回、赤血球は半数以下、血小板は正常値の約30分の1
看護師でなくともその異常さには気づくだろう。
2歳という小さなからだで病気と戦っていたのである。
明らかな異常は見て取れず、突然に襲った落雷。
早急に輸血が必要となった。
車を飛ばして紹介された大きな動物病院へ向かうも、
供血してくれる猫がいないと
輸血はできないと言われた。
猫の血液は基本ストックがないという。
周囲の人に電話をかけ、メールをし、とにかく供血してもらえる子を探すが
簡単には見つからない。
なんせ、ど平日の昼間だ。
みんな働いている。
夕方までほうぼうに連絡して協力を仰ぎ、なんとか少量だけ輸血をしてもらえることになった。
身を引き裂かれる思いで入院をさせて輸血をしてもらい
明日迎えに行く。
しかし自宅に戻っても落ち着かない。
嫌な予感は当たるものだ。
遅くなった夕飯の支度を終えた頃、電話がなった。
病院からだ。
輸血開始直後に副反応があらわれ、輸血が続行不可能となったと連絡が入る。
一筋の光が途絶えた。
こればっかりは、どうしようもない。
人間の輸血でも、副反応は数人に1人のペースで現れるのを目にしており、避けられないものだと理解できるが故に、悔しくて悲しくて辛い現実……。
自分がコロナになり休んでいて復活したその直後の出来事である。
明日は生きているだろうか。
明後日は?
明明後日は……
輸血は1度行うとすぐに次というわけには行かない。
本来なら1ヶ月は待ちたいところだが
今はもうそんな猶予はない。
早い段階で供血猫を探さなくてはならない。
私はこの子を失いたくない。
悲しみがどれだけこんにちわしようと構わない。
ただ、この子は連れていかないで。
私の大切な大切な家族……。
コロナ後遺症?
コロナ休養から開けて少しずつ経緯が明らかになってきた。
病院に病原体を持ち込んだ入院患者は特定されている。
私はその患者から感染した。
私と同日に陽性となった患者は同室に5名で他室からは出なかった。
その翌日に陽性は25人に増え、個室・多床室関係なく陽性患者が増えていた。
現在、1日に2~3人が陰性となり、1人が陽性に……という状態。
減りつつもゼロまでの道のりにはまだ時間がかかりそうだ。
病原体を持ち込んだ患者のその後は、と言うと、実はまだ検査をする度に陽性反応が出ており、陰性になっていない。
熱も37.5℃くらいが毎日続いており、個室から出られない状態が続いている。
私も筋力低下は昨日のブログに上げている通り、想像以上に大きかった。
そして未だに日々、場所を変えては筋肉痛が繰り返されているのだが、この患者は元々普通に歩けていたが、今や立ち上がるとふらついて、室内のトイレまで伝い歩かないと倒れそうだと話している。
SpO2は95%程度で安静時は息苦しさもなく、ただ時折頭痛がしんどいと訴えている。
これらはコロナの後遺障害である。
一旦肺炎となった肺はすぐには回復しないし、体力は動かなければ低下の一途で、強いては体も思うようには動かなくなる。
コロナは陰性になったら終わりという単純なものでは無い。
その後の人生を左右するような病気だと改めて認識する。
世間は日曜日。今日も平和に見える。
この感覚は以前に経験したことがある気がする。
自分のことがまるで他人事のように感じてしまう。
怪我をして血を流しても、痛いとは感じず、あ、血が出てる、と思うだけ……乖離性障害。離人症である。
私は一時的にこの精神障害を患ったことがある。
健忘に陥り、記憶のない数時間から数日間をすごした。
もし、これが再発したとなれば、原因となるストレスはコロナである。
コロナは血管を傷害する。
身体中の血管のどこが損傷されているのかは見えない。
そのことから播種性血管内凝固症候群などが新たに問題となっているのはご存知だろうと思う。
10代、基礎疾患なし、男性、コロナで死亡……このニュースである。
播種性血管内凝固症候群とは、血管内のあらゆる場所でカサブタができ、血管内では血栓と呼ばれる物体となる。
それらは詰まったりして酸素不足や栄養運搬を妨げるだけでなく、相反して血栓を溶かそうとする物質も増えるため、出血も起こりやすくなる。
これが脳で起きていたとしたら、症状が出たのはこのせいかも?とふと考えた。
急性期のコロナの治療にいくらかかるか、ご存知だろうか。
公費負担になるとはいえ、1人あたり50万円とも言われる金額が必要となる。
後遺症には更に各症状に応じた医療費がかかる。
既に難病レベルの金額がかかることも想定される。
借金大国には大きな問題である。
そんなことを考えながら夜勤を終えて自宅へ戻った。
明日は、緊急出勤の電話がかかってこないといいな……